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2016年8月10日水曜日

人を恐れると、わなに陥る。主に信頼する者は安らかである。
-箴言29章25節-

聴応祈時2016.08.10

このところ「恐れる」ことについて
よく考えさせられている。

自らの日々の生活、
信仰、仕事、人間関係などを思うとき
いかに「恐れる」ことによって
多くのチャンスを無駄にしてしまっているかを
認めざる得ない。

人を恐れることはもちろんのこと
失敗することを恐れるなど
いつも、何かに恐れを抱き
結局のところ挑戦すること、努力することを恐れ
ちょっとするとすぐに諦めてしまう、
または逃げてしまう。

では、なぜ恐れてしまうのか?

いろいろ考え、いつも行きつくのが
自らの内にあるプライドである。

しかし、またなぜプライドなのだろうか?

それは自分で何もかも全てを
しようとしているからなのだろう。

自ら努力することはとても大切だが
自らだけできること、変えられることは
自分で思っているほどではない。

しかし、自分がすべてをしようとするのではなく
するだけのことをしたら、後はすべて神に任せる。

自分の出来るだけのこと、もっと言葉を変えると
自分に任されている部分だけをしっかりとし
神の部分は、ちゃんと神に委ねさえすれば良いのだ。

自分ですべてをしようとすると
いろいろなことが気になってくる。

人間は神でないのだから
自らのうちに絶対というものはない。

絶対という土台がない上に
様々なものを自分だけで建てようとしても
不安定きまわりなく、
結局、本当に大丈夫なのか?というおもいになり
そのおもいが、恐怖へと駆り立てていくのである。

聖書は多くの所で「恐れ」について記している。

この箴言29章25節は、
恐れることの結果と解決策を単純明快に
わたしたちに示している。

信頼するためには
信頼する対象への理解や良き関係が不可欠である。

これは聖書に聴き、祈りを通して神と会話をし
いつも神に感謝をささげることによって
築き上げ続けることができるのである。

恐れは外から他者からによって
おこると私たちは考えてしまいがちですが
実は、自分の内側から恐れを生んでいる。

この気づきを日々持ち続けさせてくれるのが
この箴言29章25節なのである。