どうするかは自分!

hhcハンナブログ
(京急六郷土手駅)

京急六郷土手プラットホームから、
多摩川にかかる橋を見た線路の写真です。

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線路は続くよ
どこまでも♪

と、誰もが聞いた事のある歌ですが

私の田舎は電車はなく
ディーゼル機関車に引かれる汽車が走っています。

今はもうありませんが
最後尾車両には、外に出れるデッキが
まだついている車両がありました。

そこから、足元から列車から伸びているような
線路をじっと眺めながら、
どこまで続いているのかな?と
よく考えました。

人は、時にその人生を列車にたとえ
「すでにレールが引かれている」と表現します。

そんな決められた人生は嫌だとか、
努力も特にしなくても良い人生とか、
どちらかと言うと、否定的・消極的な意味合いで
使われることが多いような気がします。

でもそんな都合の良い人生や物事はありません。

例え、すべてがお膳立てされていても
結局は、そのレールをどのように運転するかは
運転する私たち次第で大きく変わります。

レールが引かれていても
必ず駅に到着するとは限りません。

運転次第で、事故も起こしたり、
脱線したりすることもあるでしょう。

レールの上を運転するのも、
とても神経を使い結構難しいものなのです。

クリスチャンにとって、毎日を生きるとは
終点駅が決まっている線路の上を
自分と言う列車を運転しているようなものです。

どこの駅でとまるか
普通列車なのか、急行列車なのか
カーブをどれくらいのスピードで走るのか等々
どのように列車を操縦するかは
神様から一人一人に委ねられています。

  また天国は、ある人が旅に出るとき、
  その僕どもを呼んで、
  自分の財産を預けるようなものである。
  (マタイによる福音書 25章14節)

今日はどのように
神様から与えられている一日を
任されている自分号をどのように運転しますか?

今日も主にあって^^/

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