歳を重ねるとは
(写真:by Nikolay Zakharov @unsplash.com)
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こんばんは!
どんよりした一日でしたが、暑さが和らぎ過ごしやすく嬉しかったですが、皆さんはいかがでしたか?
今日は久しぶりにミシンを使いました。
案外と使うことが出来うれしかったのですが、一つだけ、本当にダメになってしまったのが、ミシン針への糸通しでした。
どんなにしても、針の穴がハッキリと見えず、一回一回にとても時間がかかってしまいました。小さい時からずっと手先には自信があり、細かい作業はすごく得意だっただけに色々と考えさせられました。
細かい作業が以前のように出来なくなったことがショックではありませんが、年を重ねることはどういうことなのか考えさせられます。
年を重ねると、身体的に制限が多くなりますが、経験が増える分、知恵がつきます。しかし、これも人によって様々です。
信仰によって、サラもまた、年老いていたが、種を宿す力を与えられた。約束をなさったかたは真実であると、信じていたからである。
(へブル人への手紙11章11節)
旧約聖書にあるとても有名な、アブラハムとサラが通常では考えれない歳で子を授かった話です。
神を信じることがどういう事なのかを示して下さっている箇所です。
常識は大切です。科学も必要です。しかし、これらがすべてではないのです。神を信じることは、神の御心なら何でも出来ない事はないと、心から信じる事なのです。
この世の基準がすべてであるなら、神は要りません。
神がいられるという事実は、私たちにとってどういう事なのでしょうか?今夜、寝る前に少しこの事を考えながら今日の一日を神に感謝しませんか?
今夜も主にあって祈りつつ
そして、感謝しつつ ^^/